弁護士法人みやざきは、それぞれ得意分野を持った弁護士が連携して紛争解決にあたる法律事務所です。

ボリビアシリーズ№3

2015年01月13日

1 松岡です。前回はボリビア移住の全行程の概略を報告させていただきました。今回からその行程の記憶に残った風景やエピソードを報告いたします。
 昭和32年4月、私は丸亀市内の小学校に入学しました。在学期間はわずか1週間でした。木造校舎の長い廊下のみが印象に残っているばかりです。その頃ボリビア移住の話は既に確定していたはずですが、短期間の通学になることは聞いていませんでした。

2 突然家族全員と叔父親子で神戸にあったコンクリートの建物に移り住むことになりました。この建物は1928年国立移民収容所として建設され、ブラジル移民の拠点となり、寝台数600の建物全体が甲板を持つ船の様であり、廊下や階段も船のそれに似せられていたようです。これは、長い航海期間中の船内生活に慣れるようにとの配慮があったようです。
 今回調べてみましたところ、1950年から1960年の間は外務省の神戸移住斡旋所として、1952年10月から事務が再開されていたと言うことでした。コンクリートの建物に住むのは初めての経験でしたので、堅くて狭いという印象が残りました。滞在期間は3週間前後だったでしょうか、大人達は各種の説明に忙殺され、子供達は健康診断や予防接種の時間以外は建物内部で自由に過ごせました。

3 私達は神戸港からブラジル丸に乗船し、神戸港で見送りを受けました。船上にも岸壁にも日章旗とブラジル国旗の小旗がはためき、岸壁からは色とりどりの紙テープが甲板に投げ入れられ、大人達はその紙テープをしっかり握ぎりしめて、お互いの絆を確認し、別れを惜しんでいる様子でした。
 神戸港から横浜港に寄港し、横浜港からの移住者が乗り込み、再び別れの光景が繰り返されました。当日は小雨が降っており、岸壁から甲板に向かって投げ入れられた紙テープが、甲板に届く前に次々に切れて、紙テープの玉が甲板上に沢山散逸していました。船縁に身を乗り出した出航客は誰もそのテープに見向きもしません。私は甲板に散らかった紙テープの玉を一生懸命拾い集めて、船縁の大人達に手渡していました。銅鑼がジャーン、ジャーンと打たれ、汽笛を鳴らしながら船は岸壁を離れていきました。
 今回はここまでとさせていただきます。次回は船内生活の紹介を予定していきます。

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