加藤です。
数日前に義理の祖父が98歳で亡くなりました。
通夜、葬儀と神式で執り行われたのですが、たくさんの方に参列して頂きました。可愛らしかったのは、いまだ3歳児である甥っ子が、興味深げに椅子の上で胡坐をかいて、神主の方達の太鼓と笛を見ていたこと、それから小学校1,2年生の姪っ子たちが、大粒の涙を目に浮かべていたことでした。後で聞くと「悲しくて仕方なかった」そうです。おそらく彼女達としては、初めて人の死と正面から向き合ったのではないかと思います。
私自身、故人とそこまで深い関係はありませんでした。ですが、98歳という高齢にもかかわらず、延べ300数十名の方に参列して頂いたこと、そして参列された多くの方がすすり泣いていたことから、故人の生前の人柄を垣間見る思いでした。
資本主義社会では、大抵のものやことをお金で買うことができるものの、本人に対する周囲の人々の謝意を金で買うことはできないし、そういうものが総意として、どのくらいあるのかというのは、本人の結婚式や葬式で、場の空気として怖いほど如実に差が出てくるように思います。
私自身、普段、法律という実学の世界にどっぷり浸かっていると、正直、そのあたりの感性に鈍くなりがちなのですが、故人に対する謝意を、会場にいた子供たちも含めて、多くの人達と共有できたことが、故人への最後のプレゼントとなったような気がします。
とても疲れましたが、子供たちと同様、私もまた多くの気付きを得られた2日間でした。今までお疲れ様でした。