先日,アガサ・クリスティの「ゼロ時間へ」という小説を読みました。
私はミステリー小説というジャンルはあまり読むことがありません。
でも,アガサ・クリスティの小説は,意表をつくトリックや大どんでん返しというよりも,たくさんの人間が登場し,その人間関係の中で事件が進行し,人間同士のやりとりがトリックともなっているので,大好きです。
さて,「ゼロ時間へ」です。
この中でもキーとなるのは「人間」です。
トレーヴという老弁護士は言います。
『人間ですよ,皆さん』
『人間。千差万別,性格も体格もばらばらだ。そういう人たちが一か所で出会い,事件に巻き込まれて,それぞれがささやかな役割を演じた。それらの行動がひとつにまとまって,殺人事件の裁判という展開になった。』
『(略)殺人は結果なのだ。物語はそのはるか以前から始まっているーときには何年も前からー数多くの要因とできごとがあって,その結果としてある人物がある日のある時刻にある場所におもむくことになる。』
『すべてがある点に向かって集約していく・・・そしてその時にいたるークライマックスに!ゼロ時間だ。そう,全てがゼロ時間に集約されるのだ』
殺人事件のような事件だけでなく,私たちの日常で起こりうるトラブルもそうなのではないかと思います。
突然生じたようにみえるトラブルも,実はずっと以前から小さなものごと,やりとりが重なりあった末のことのように感じます。
取引の場面や家庭内での場面で,誰しも,今自分のやっていることがいずれトラブルに発展するとはなかなか予測できませんよね。
それでも,ふと「?」と疑問符が浮かぶことがあるのではないでしょうか。
そのようなときに誰かの手助けがあれば,トラブルに発展することを防ぐことができるかもしれません。
あるいはトラブルの影響を最小限に抑えることができるかもしれません。
弁護士としては,その「手助け」ができる存在でありたいと思っています。
トラブルが生じた場合はもちろん,日常場面でふと疑問符が浮かんだときにも,お気軽にご相談ください。
弁護士の手助けの結果として,皆さまの「ゼロ時間」がトラブルの発生ではなく,安定した生活を取り戻す瞬間になれば幸いです。