お盆で事務所に出てきている弁護士がいないので、加藤が2週続けて執筆させていただきます。皆さんは宮崎駿監督の新作映画「風立ちぬ」をご覧になりましたか。
これまでの同氏の作品と違い、いわゆる零戦とよばれる、戦闘機を開発した、堀越二郎という実在人物の半生を描いた映画です。
私達の世代では、白黒写真でしか見たことのない、当時の日本の情景がとてもリアルに描かれており、それだけでも見る価値は十分にあります。そういった情景の中で私が一番印象的だったのは、零戦という当時としては、おそらく世界一画期的な戦闘機を、工場から飛行場まで、なんと牛に引かせて移動させるという、恐ろしく前近代的なシーンでした。
おそらく、当時の技術者達は、無理をして、一生懸命になって、列強諸国からの遅れを取り戻すべく、不眠不休で、頑張ったのだと思います。
そこまでして、開発した零戦が、特攻隊という悲劇的な終戦に繋がるとは当時の主人公達は想像すらできなかったかもしれません。
振り返って、今、我が国は、落ちぶれたとはいえ、当時に比べれば格段に国民の生活は格段に良くなり、私達は経済的繁栄を享受させていただいています。
ですが、我々が安全に、治安の良い社会で平和的に暮らすことができているのは、そもそも、この国が主権国家として対外的に独立しつつ、民主的に機能しているからです。
今日の日本のかたち、体制ができるためには、先人達のこの国を先進国に近づけようとする、上記の凄まじい努力と、「国のために」と言いながら、個人としての幸福追求を放棄することを強いられ、亡くなっていった先人達の犠牲が、必要だったのではないかとも思います。
先日、旅先で出会ったインド人の富豪の老人は、戦前の歴史で、アジアにおいて、日本が西洋の侵略から独立を掲げた意味はとても大きく、だからこそパール判事は東京裁判で、戦犯の無罪を主張したのだと、私が弁護士だと知ると語りかけてくれました。
我が国で戦前の歴史をすべて誤りだと決めつけ、日本国憲法の平和主義を,千住念仏のように唱え続ける向きもありますが、実際の国際政治が、そこまで甘く単純でないのは、日本が戦後3兆円以上の円借款と,1400億円以上の無償資金協力をしてきた某近隣国家との,近時の情勢を見ただけでも明らかです。
もちろん、戦前の我が国の歴史のすべてを美化するのは間違いです。誇大妄想な国家観は、この国を再び破滅へと導くおそれすらあります。
しかし、だからといって当時の日本人が、最初から自国民を破滅に導こうとしていたかと言うと決してそうではなく、むしろ何とか、この国の貧困を少しでも良くしよう、という気概を持っていたのは、「風立ちぬ」のシーンからも垣間見えました。
私達は、終戦の日を迎えるにあたり、一方で、先人達の想像を絶する努力や、その非業の死に、敬意と哀悼の意を表しつつ、他方で、今後、日本国憲法の定める平和的生存権が、理念倒れの「絵に描いた餅」となることのないよう、他ならぬ私たち国民自信が、主権者として、この国の舵取りを、常に監視してゆかなければならないと思います。
今日は、事務所内に他の弁護士がいないので、ちょっとテロ行為をしてみたくなりました(笑)。
※上記見解に含まれる政治的な主張は、弁護士加藤の個人的見解であり、事務所の公式見解ではありません。。